2010年03月17日
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緯度0大作戦とヤマト

Written By: トーノZERO連絡先

 緯度0大作戦という映画がありまして。昔、TVで見ました。かなり好きな特撮映画でしたが、権利関係がごたごたしてDVDが出るか危ぶんでいましたが、やっと出ました。

 しかし、「南海の冒険」「飛ぶフネ」という2つの文化の継承者という観点から、これとヤマトとの関係も検討せざるを得ません。

ナディアでは §

 ふしぎの海のナディアでノーチラス号の進水プレートを発見するシーンですが、これは緯度0大作戦のパロディないしオマージュと思われますが、「わあい、緯度0だ」と喜んでいたら、周囲がみんな「トップをねらえ」だと喜んでいて何回「これは緯度0だ」と説明しても「トップトップ」と言い続けることに強い孤立感を覚えましたが、まあヤマトファンの「クラスで僕だけ好きなんだい」という感じからすれば同じかも。

 ちなみに、庵野監督が「オタクってそれほど賢くはない」と気付くのはもっと後らしいのですが、これもまた「オタクってそれほど賢くはない」という事例の1つなのかも。こういう二重のネタをやって良い相手とは言えないのかも。

 これは、ケロロ軍曹でも同じで、ガ○ダムと見せかけつつセブンとか、ガ○ダムと見せかけつつヤマトとか、そういう二重のネタに喝采していても、実はそれを見抜いていないで表面上のネタしか見えていない人も多いようで。

 そういう意味でやはりヤマトも同じで、ヤマトそのものがネタとして二重化されているのですが、「旧日本海軍の戦艦が復活したのは右翼的である」といった安易で短絡的な結論で満足してしまうわけですね。

三局構造という問題 §

 通常のドラマは主に「敵」と「味方」に分かれます。

 しかし、緯度0では3つに分かれます。

 「悪」と「緯度0」と「普通の僕ら」です。

 つまり、「普通の僕ら」が「緯度0」に行くという驚異の物語と、「敵」を倒すという物語がワンセットです。

 実はヤマトも同じです。つまり、「普通の僕ら」が「イスカンダル」に行くという驚異の物語と、「ガミラス」を倒すという物語がワンセットです。

 つまり、理想郷としての「緯度0」「イスカンダル」の存在が特異的な特徴として共通します。

 そして、ラストで「緯度0存在の証拠が消えている」「イスカンダルは死者の星だった」という驚きの結末を迎えるわけです。でも、実は「可能性としての希望」が最後に残るところも似ています。

時間倒錯という問題 §

 古すぎるフネが時間を超えて超科学の結晶として出てくる、と考えれば両者は共通しています。おそらく進水プレートを見つけて驚くシーンと、宇宙艦橋だと古代・島が驚くシーンは構造的に似ています。

改造の問題 §

 もともとフネとして進水したのに、改造によって飛行能力を得た、という展開もやはり似ています。

身体を交換するということ §

 実は、悪が行う身体を怪物に交換する手術ですが、これは暗黒星団帝国の行いそのものだと思えばそれも似ていることになります。

お色気 §

 お色気のどっきりサービスが満点であるのも共通点かも。緯度0ではみんなで入浴したり、ヤマトではワープで雪が脱げるぞ。

権利関係のごたごた §

 そもそも、権利関係のごたごたで出るのか出ないのか良く分からない点も似ています。緯度0のDVDは出ることが奇跡のようだし、2520は未だにDVDで出ていないわけだしね。

感想 §

 日米合作だから日本の伝統とはあまり合致していないと見えた緯度0もこうして考えるとヤマトと似ている面が大きい?

 「進路変更、緯度、ゼロ!」

 「マッケンジー艦長、緯度ゼロはずっと続いていて経度も指定しないと場所が特定できません」

 「よく探せ! そこにイドの怪物がいるはずだ!」

 「それはイドはイドでも違う映画です!」

宇宙戦艦ヤマト

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